ブルース・リー―李小龍の栄光と孤独



ブルース・リー―李小龍の栄光と孤独香港美食大神―史上最強の香港レストランガイド香港飲茶読本 (コロナ・ブックス)レスリー・チャン Last Sceneブルース・リーと101匹ドラゴン大行進! (洋泉社MOOK―映画秘宝)香港攻略本〈2003~2004年版〉香港・マカオ (ポケットガイド―アジア)返還後香港政治の10年 (情勢分析レポート No. 7)ジャッキー・チェン最強伝説香港電影 燃えよ!スタントマン


ブルース・リー―李小龍の栄光と孤独
ブルース・リー―李小龍の栄光と孤独

ジャンル:
セールスランク:366003 位
発送可能時期:通常24時間以内に発送
参考価格:¥ 2,730 (税込)

ご購入前のご注意
当ホームページはアマゾンウェブサービスにより運営されております。 商品の取引契約および商品に関する情報は全てAmazon.co.jpの取り扱いとなります。

購入する

これはどうかなあ

うーん、これはどうかなあ。子役時代に重点を置く意味も分からないし、思わせぶりな前フリの割には、あらすじを延々書いているだけの部分が多いし。今時、ブルースリーの本を出すにあたってこの内容では、納得いかないなあ。値段もそこそこするしね。
芸術的核心を犬彦は論じきれない

犬彦は大衆文化のアイコンを幅広く論ずるすぐれた論客だ。しかし犬彦が中上健次やスウィフトのようなノーベル文学賞級の小説家を論じても、白土三平やブルース・リーのようなポップ・アイコンを論じても、その論述スタンスはまったく変わらない。それは長所でもあり、同時に恐るべき短所でもある。つまり論述対象の各論がみごとな手際で展開されるのだが、それだけで終わってるのだ。換言すると、論述対象の本質的な、芸術的核心をえぐり出す迄には犬彦の評論は至ってない。たしかに教養主義的な該博な知的分析はなされる。それはすばらしい。しかし、なぜ白土三平の漫画があれほど読者を芸術の核心に触れさせうるのか、なぜブルース・リーの身体技法があれほど観客を感動させるのか、中上健次やスウィフトのどこが芸術的核心なのか、それが犬彦は論じきれないのだ。その肝腎な点を論じなければ、しょせん白土三平やブルース・リーもすぐれた漫画家、すぐれたアクション・スターとして一時的評価に落ち着き、彼らの普遍的と言ってもいい永遠の芸術的な力は忘れ去られるだろう。
本来、四方田犬彦によって最初に書かれるべきだった書物

 サンフランシスコの唐人街で生まれ、香港で育ち、名子役となるものの映画界を一旦離れ、アメリカに渡ってクンフー道場を開き、ハリウッドへの道が開かれたかに見えたが、結局は香港に戻ってのち国民的英雄となったブルース・リーこと李小龍。
 香港の人からはアメリカ的と敬遠され、アメリカでは東洋人として扱われる所在のなさを本書で初めて知った。小学生の僕らが馬鹿騒ぎしてたアチョとヌンチャクにはこんなバックボーンがあったのか、と。中国とアメリカ、武道と演技の狭間の両義性、儒教的、ホモソーシャルな社会の中での孤高性など、ブルース・リーの人間的な面白さが丹念に解読されている。
 「六〇年代にキューバで座頭市がアメリカ帝国主義に抵抗する人民の象徴となったように、この武道家の一挙一動は、パレスチナ難民に勇気と活力を与えてきたのだ」という一文がある。つい先日、ボスニア・ヘルツェゴビナにブルース・リーの銅像が建てられ若者のいたずらにより破壊されたという記事を読んだ。ボスニア・ヘルツェゴビナとブルース・リーという一見脈絡のない関係は、“人種的マイノリティの抵抗と団結、民族和解の象徴”というコンテクストで結びつくのだ。
 ヌンチャクが沖縄の伝統的な測量器でありブルース・リーが初めて武器として使ったとか、多作な四方田犬彦の、実は最初の書物になるはずだったのがブルース・リーのトンデモ本だった、なんてエピソードも楽しい。
視点のズレ

本邦における本格的な、されど遅ればせながらの「ブルース・リー映画評」である。そのうえ、これまであまり触れられることのなかった子役時代からという念の入れようで、のちの不世出の「功夫スター」の主演映画を論じる上で大切な素材提供の伏線となっている。全編これ、映画史家たる著者の面目躍如たる構成である。ただし副題「栄光と孤独」にリーの現実面、すなわちマーシャルアーティストとしての姿を求めては後悔することになる。ご多分にもれず、ここには著者お得意の「映画論ありき」の断片がある。映画を離れた部分で散見されるリーの実際上のエピソードは、どれも従来紹介されてきたものばかりであり、「武術家リー」をより掘り下げて知るよすがには残念ながらなっていない。些末ながら誤字脱字、誤表記も見受けられ(テコンドーを「胎(実際は「足」偏に「台」の字)拳道」と表記したり、「精武門」のカメラマンを西本 正と記したり、監督名の「呉」と「伍」を混同するなど)、まだまだこの国で生身の李 小龍(芸名同様、映画タイトルもすべて日本人に馴染み薄い広東語表記にするなど著者のこだわりが窺えるのも本書の特徴である)を知るには、その周りの環境材料も含め、いましばらくは時間が必要であることを痛感させられる点は否めない。



晶文社
マルコ・ポーロと書物
星とともに走る―日誌1979‐1997
ハイスクール・ブッキッシュライフ
「かわいい」論 (ちくま新書)